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人生を変える質問力の教えより

□ 相手が反論してきたら、その反論の根底にある価値観は何かに注意し、それを覆す努力をすること
□ 愛とは、見つめ合うことではなく、同じ方向を見つめ合うことである。 
□ 質問は相手の思考や行動をコントロールすることができる。 
□ 考えるとは、自らに質問し続けること。自分に対する質問をコントロールすることにより自分の思考をコントロールすることができる。思考は行動をコントロールする。
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人としての成長

「これは嫌い」「あれは無理」「そんな事は出来ない」などと言っていては、人として変化できない。変化は進化である。進化・成長するためには、ためらったり否定したりする事は弊害となる。

人生死ぬまで勉強

「人生死ぬまで勉強だ」などと言いながら、「認知症になるまで生きていたくない」「老人ホームには入りたくない」とも言う。いい歳をして、認知症で呆けたジジイやババアに気を遣いながら生きるのが嫌なのだ。んな事で勉強が続けられるわけがないと気づいた。生きられるだけ生き、老人ホームで呆けたガンコジジイとうまくやっていく方法を日々研究するとしよう。
敬老の日に

必要とされる年寄りになる

先日、岩手に旅した際に〈デンデラ野〉というところに行ってきました。いわゆる姥捨(うばすて)伝説の場所です。むかし、貧しい村が飢饉などに見舞われた時に、働けない年寄りを山に捨てに行ったというところです。捨てられた年寄りはその後その場で餓死していくというものです。賢明な若者が、生きる知恵を持っている年寄り(母親)を捨てることができず村に連れ帰り、年寄りの知恵は大切で若い者は習わなければならないと土地の支配者に訴えたという昔話があります。こういうところは、全国にあるようです。
今では、姥捨こそはありませんが、年長者に対する尊敬の念はどうなっているでしょうか?
表向きはお年寄りは大切にして当たり前だ、と唱えていても、相手によって〈うるさいなあ〉とか〈めんどくさい〉とか、敬遠しがちのところもあります。反対に高齢者(大人)の方も、若い者とは価値観が合わないと敬遠してしまうこともあります。つまり、若者も大人:高齢者を敬わない、大人:高齢者も若者に敬われる存在ではない、ということが言えるのではないでしょうか。
今日の文明の進歩は、むしろ年配者:大人にはついていけないものがあります。したがって、社会のスピード感や利便性については、若者:子供の方が詳しいかもしれません。こんな時代だからこそ、年寄り:大人も若者:子供を敬遠してしまい孤立化してしまっています。
しかし、そんな若者:子供も数十年すれば年配者:大人となり、その時代にはついていけなくなり、孤立化してしまうことも考えられます。
それでも、敬遠されず、〈いつまでも元気でいてください〉と頼りにされる年寄り:大人になれるように努めていきたいものだと、〈うるさく〉〈めんどくさい〉年寄り:大人を「かわいい」と思える度量を備えていきたいものだと、私自身思い至る敬老の日です。
敬老の日に思うこと

習慣を変えるには・・・。

今までやってきた習慣をやめるには、根性や強い意志など不必要。習慣を変えるだけ。新たな習慣を始めるには、単に時間の調整だけ。
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